id:kosekiさんへ

えーと、すいません、問題はですね、実はそれは二次的な存在と一次的な存在の区別であって、一次的な存在の区別ではない、ということなんです。

つまり、霊的な存在というものをたてることは、ぼくは反対してません。そういうものを経験する人がいること、そういうものとそうでないものを区別してしまう人がいること、そういう区別に対応した言葉の区別の必要があるということ、そのことに反対しているのではないのです。

そうではなくて、霊的な存在はものとしての存在ではない、という考えを批判しているのです。霊的な存在は心理的で社会的なものとして物質的存在です。つまり、霊的なものは一次的に存在するものの二次的構造として存在しているわけです。それを、一次的に存在するかのようにいうことが、カテゴリー・エラーである、ということなのです。

霊的な存在を立てることは可能だけれども、一次的な存在のカテゴリーとしてたてることはできない、それは二次的な存在だから。だから、一次的な存在に霊的な存在というものを別に立てることはできない、そういうことです、いいたかったのは。

例をあげます。もちろん、わたしは、椅子とテレビの中の机を区別できますし、すべきです。しかし、同じ水準で存在しているのは、テレビと椅子であり、テレビの中の机と椅子ではありません。視覚の対象であるという理由で、椅子とテレビの中の机の映像を存在論的に同列にあつかったとしたら間違っているでしょう。ぼくがいいたいのはそういうことなのです。

また、ぼくの説明不足だったと思いますが、一次的というのは、経験にとって一次的という意味ではなくて、存在の側のオーダーで一次的ということです。

それから、ややエキサイトした書き方をしてしまったことをお詫びします。