プラトン風

http://www.alles.or.jp/~tsuruba/#0902
反論はしないで説明だけ。

知的じゃない理解というのはきわめて簡単なことです。ある文を読むことで私はその記述が伝えようとしている事実、知識を得ます。この側面を知的理解と呼び、わたしがその文を読んだことで私に生じる知識の増大以外の効果を知的でない理解の側面と呼んでいます。つまり、馬鹿といわれて、このひとはわたしを馬鹿と認識しているのだなと理解するのが知的理解の側面で、腹が立つのが知的でない理解の側面です。

で、馬鹿という言葉を利口という意味で使うことをきちんと取り決めたら利口という意味で伝わる、ということはもちろん前提にした上で、わたしがきちんと、あ、このひとはわたしを悧巧とみなしているんだな、ときちんと理解できたとしても、腹が立つことは否めない、そういうことです。わたしは、きちんと馬鹿という言葉を悧巧という意味で使っていることを理解していれば腹は立たないはずだという前提に対して、意識的に理解しているということは、無意識的なその言葉の効果をかならずしも左右しない、ということを指摘しました。そのような名目的な言葉の意味と背馳する言葉の効果の側面において、適切であったかどうかを疑問視したわけです。