やすくに

うーん、だからといって、フランス的な、徹底して世俗的な擬似宗教としてのナショナリズムが仮に宗教から分離されて実現されたとして、それはいいことなんだろうか。不可避だから、そのほうがまし、ということなんだろうか。世俗宗教としてのナショナリズムの情緒的統合機能は、肯定するのは、それはそれでひとつの立場なんだけれども、どうもなしくずしな感じがつよい。

国家が、自国民をシンボリックにかつ情緒的に統合し、動員しようとする傾向をもち、かつ、それが、実利的にはおおむね、すくなくとも国家にとっては有効である、とすれば、そのことをどうかんがえるか。

国家と、国家が成立している地域を覆う共同体とのあるべき関係。

追記
あ、わかった、というか、わかったというより別の問題ではあるんだけど、これはむしろ、信仰の異なる死者の悼み方、ということとして考えるべきなんだ。そうすると擬似的に共通の信仰を仮構するというやりかたとして再解釈できる。