ラッセル式割り切り パラドックス

 たいていのなにやら「深そうで意味ありげ」な逆説は、言葉を足せば逆説じゃなくなって、有用だがごくごくわかりやすい話になる、と最近までぼくは思っていた。これをたとえば大雑把にラッセル式割り切りと呼んでみたり。

 つまり、場合わけしてみればいいので、「国に人は多いが人はいない」だと意味ありげだけど「国に人は多いが立派な人物はいない」といえば当たり前のことで、反復される要素にそれぞれ適切な限定や修飾をつければ、矛盾は矛盾でなくなるわけで、それがタイプ理論みたいだし、というような話。

 だいたい、たいていの逆説的表現は、こういう言いかえができるので、本当に論理的に矛盾している逆説というのは殆どない。

 しかし、とちょっと思うのは、ウィトゲンシュタインとかのことを思い出したり、ということなのだけど、それって本質的に問題の解決になっているのか、つまりその言い換えによってもとの逆説から失われる意味があるのではないか、ということ。