「おしまいの人間」 ニーチェ

 かなしいかな!やがて人間がもはやそのあこがれの矢を、人間を超えて放つことがなくなり、その弓の弦が鳴るのを忘れる時がくるだろう!
 わたしはあなたがたに言う。舞踏する星を産むことができるためには、ひとは自分のなかに混沌を残していなければならない。わたしはあなたがたに告げる。あなたがたはまだ混沌を自分のなかに持っていると。
 かなしいかな!人間がもはやなんらの星を産むことができなくなる時がくる。かなしいかな!もはや自分自身を軽蔑することのできないもっとも軽蔑すべき人間の時がくる。
 見よ!わたしはあなたがたに『おしまいの人間』を描いて見せよう。
 『愛とは何か?想像とは何か?あこがれとは何か?星とは何か?』―『おしまいの人間』はこうたずねて、こざかしくまばたきする。
 そのとき大地はすでに小さくなり、その上に、一切を小さくする『おしまいの人間』がとびはねている。その種族は地蚤(じのみ)のように根絶しがたいものだ。『おしまいの人間』はもっとも長く生きのびる。
 『われわれは幸福をつくりだした』―と『おしまいの人間』たちは言って、まばたきする。
 かれらは生きるのに厄介な土地を見捨てる。温暖が必要だからである。かれらはやはり隣人を愛している。隣人にからだをこすりつける。温暖が必要だからである。 病気になることと不信の念を抱くことは、かれらにとっては罪と考えられる。かれらは用心深くゆったりと歩く。石につまずく者、人間につまずき摩擦を起こす者は馬鹿者である!
 少量の毒をときどき飲む。それで気持ちのいい夢が見られる。そして最後には多くの毒を。それによって気持ちよく死んでゆく。
 かれらはやはり働く。なぜかといえば労働は慰みだから。しかし慰みがからだにさわらないように気をつける。
 かれらはもう貧しくもなく富んでもいない。どちらにしてもわずらわしいことだ。誰がいまさら人々を統治しようと思うだろう?誰がいまさら他人に服従しようと思うだろう?どちらにしてもわずらわしいことだ。
 牧人はいなくて、蓄群だけだ!だれもが平等だし、また平等であることを望んでいる。それに同感できない者は、みずからすすんで精神病院にはいる。
 『むかしは世の中は狂っていた』―とこの洗練された人たちは言い、まばたきする。
 かれらは賢く、世の中に起こることならなにごとにも通じている。そして何もかもかれらの笑い種になる。やはり喧嘩はするものの、かれらはじきに和解する、―さもないと胃腸を害するおそれがある。
 かれらは小さな昼のよろこび、小さな夜のよろこびを持っている。しかしかれらは健康を尊重する。
 『われわれは幸福をつくりだした』―と『おしまいの人間』たちは言って、まばたきする。―8