なにかでだれかが「スベカラク」の誤用についてなにかいっていた

 いま案ずるに「すべからく」が「すべて」の意に誤用されるというのは必ずしも正確ではない。多くの場合はむしろ、「決まって」、「必ず」、「殆ど必然的に」の意に誤用されているというべきである。この意味から、「すべて」の意味合いが生じているのである。そして、すべからくーべしは漢文の須、応の訓読語として人工的に作られた語法である。須は必須の須であり、「必要がある」と「すべきである」の中間、あるいは両方の意味で、「応」は「相応である」と「すべきである」くらいの意味だろう。だから、need と shuold くらいの意味で考えていいので、must ではない。というのは実は余談で、しかしここから「必然的に」の語義へのずれを理解するのはそう難しくも無理でもない。勿論、誤用であるには違いないのだから排斥は存分にやればよいのだが、普通の意味内容を橋掛かりにした語義のずれとは異なる、まったくの衒学趣味から出た誤解であるという非難の仕方はあたらないのではないか。殆どのひとは、意識的に了解してはいなくとも、この語義のずれともとの意味の残響をきちんと、その用法に反映させて、この語を誤用しているように私には思われる。