2004-09-10から1日間の記事一覧

いまだ死を知らず、いずくんぞ生を知らん

いやなことをいうようだけど、時々、死ぬと死の苦しみが延々と終わりなく続くだけで、ちっとも死は眠りになんか似てなかった、ということになるんじゃないか、むしろ眠りなき覚醒に死は似ていて、生こそが眠りに似ているんじゃないか、と思うことがある。と…

「用心棒」

まあ、誰でも気づくことだけど、死と再生のモチーフがある。「荒野の用心棒」では経済権力と軍事権力が分かれていない。この違いは面白い。荒野のラモーンは卯之助にキャラクター的にかなり負けてるのが惜しい。荒野ではいちども明示的に、ギャングをかみ合…

メモ。転倒させる快楽。

バフチンのカーニバレスクについて、転倒させる快楽ということがいわれる。あるいは冒涜として。しかし、純粋にそういうこととしてのみ捉えると、それは本質的に、既成の価値付けを強化することにしかならないように見える。単に転倒ということではなく、問…

「A」といえば緋文字、「刺青」、about a kind of intimacy.

アルファは始まりの文字、生贄の牛、阿吽の阿字、そしてちいさな対象、と抜書きすればいかにもうさんくさいポストモダン風味だ。逆にいえば、学生のレポートに、これで三題話を書けというのもありだ。 さて、それはともかく、主題はカインドネスのレペティシ…

なにかでだれかが「スベカラク」の誤用についてなにかいっていた

いま案ずるに「すべからく」が「すべて」の意に誤用されるというのは必ずしも正確ではない。多くの場合はむしろ、「決まって」、「必ず」、「殆ど必然的に」の意に誤用されているというべきである。この意味から、「すべて」の意味合いが生じているのである…