「A」といえば緋文字、「刺青」、about a kind of intimacy.

 アルファは始まりの文字、生贄の牛、阿吽の阿字、そしてちいさな対象、と抜書きすればいかにもうさんくさいポストモダン風味だ。逆にいえば、学生のレポートに、これで三題話を書けというのもありだ。

 さて、それはともかく、主題はカインドネスのレペティションだ、とパンパン・イングリッシュしてみるのだが、それにしてもきょうはなぜこんなに文章が荒れているのか。

 単純に緋文字、けっこう好きなんだよね。

 アルファが生贄の牛であるというのは、この文字が牛の象形文字をルーツにしているという意味。

 最初のAが反復して、二人目のAとなる。ひとりは死ぬが、もう一人は子をなして生きる。

 掟の外にある親密さ、とひとつのテーマを要約することができるだろう。

 そう、もちろん、彼女、ソフォクレスの描くAだ。

 http://www1.u-netsurf.ne.jp/~sta/n/vol9.html

 たとえばつねに最初のAを意識しながら、二人目のAを読むこと。

 本質的に異なりながら、なお、反復として読むことの孕む豊饒性を予感させる記号的対応性という捉え方には、それなりの正当性があるのだろうか。

 しかしあくまでも精神分析の枠組みを回避すること。すくなくともエディプス・トライアングルは回避しなければならない。物語によってエディプスが解き明かされるのであり、エディプスによって物語が解き明かされるのではない。あるいは、エディプスなど存在しない。

 最初のAはやはり、本質的に花嫁なのだ。