有徴化 われわれは普通であり、特別で異常なものとしてマーク付けされ名づけられるべきは彼らである。

という主張はどの陣営もするものであって、このような主張について中立的な決着は、よほど数に大差がついてでもいない限りつけられない。そしてそういう意味での自己の相対化ができていない人は十年前には左のほうが多かったのだろう。
あと、ネット上でのわらわらとコメント欄にあつまってくる現象について、オフラインでの背景があると仮定するのはよほどの根拠がないとほとんどの場合で間違いだろうと。ゲートキーパーとか例外はあるけど、例外は例外だから目立つわけで。

http://d.hatena.ne.jp/another/20050210/1108049186

はい。あると思います。ただ、それは段階としては、まずくくりだされ、マーク付けされるという第一段階を経て、この第一段階で、「普通」の地位を獲得するのに負けた側が、この(与えられた)マークを肯定的に引き受けなおす、という第二段階のカウンターとして起きる現象だと思うわけです。まず、第一段階としては、かならず、「普通」でしるしなし、の状態を目指す、といっていいのではないかと。もっとも有名な例では「Black is beautiful」があったりとか。

追記 ああ、でもことはそんなに単純ではないか。むしろ与えられたマークを肯定的に引き受ける戦略をとるか、相手にマークをつけ返し、自分たちを再び透明化(普通であると主張する)する戦略をとるかという選択肢が存在し、個々の状況によってどちらかが選択される、ということなんだと思います。