あずまんが大王ドラマ化?

http://milfy.nendo.net/jpg/azuma.jpg
まじで? というのはid:rukuさんがすでにやってるのであれだが、池脇千鶴が大阪なのは分かる。中根かすみはよくわからないけど、そんなにはずれでもないだろう。鈴木杏が神楽というのはどうなのか。うーむ。というか、ちよちゃんはアニメのあの声にすっかりいめーじが同定されてしまっているので、どうやっても再現性はつらいような気がする。ともはまああってるとおもう。しいていえば、榊が加藤夏希かあ。うーむ。うーむ。微妙だ。榊さんは、なんかちょっと出てこないけど、もうちょっと適任がいそうな気も。

なんか、微妙に本当かもしれない感じのうわさ。どうなのか。
あと、大阪紺野がいい説はけっこう納得。
よみがミスキャスト説はかなり広範な支持を集めてる模様。

五月病雑文祭

参加しようと思ったのだが、なんか死のうという言葉で終わる文章を書くのが根本的に自分には合わない感じがするので、代わりにこれを参考まで。
http://jouno.s11.xrea.com/works/houratu.htm
ちなみにこれを書いたとき、ぼくはまったく憂鬱ではなかった。むしろノリノリだったといってもいい。なんだそりゃ。


 涙のイマージュにはどこか最高の幸せの感覚が備わっている。どんなかなしみの涙にも、悲痛な慟哭にも、やはり、幸福のエッセンスがふくまれていることはおそらく否定できない。だからこそ、ひとは涙を夢にさえ見る。
 瞬間のなかで破裂する、世界の粒のイメージ。

愛・蔵太氏のその後

 被害者を加害者であるかのように、しかも驚くべきことに弾圧者に比し、時期ではないなどと不分明な言い訳に終始し、匿名の中傷的なメールを公開し、謝罪どころか弁明すらしようとしない。

 なお、問題の「既知外」の部分はいつのまにか変更されている。侮辱が問題ではなく、あたかも禁止された単語を間違って使ってしまったのが失敗だったとでもいうかのようだ。このような言葉狩りではなく、謝罪でなければむしろ弁明や反論(即ち、「既知外」と語ったことの根拠を挙げた正当化)こそ、発言に対する責任として求められているものではないのか。

少し何かの外にいる人のそれなんで、どうコメントしていいものやら。まぁ自分を中心に世界を回らせてみたいんでしょうか。回せる世界なんて、自分が既知の世界ぐらいなもんなんですが。 言葉狩り、という言葉までは狩られてはいないようで。

 変更前は「何かの外にいる人」、という部分が「既知外の人」という表現だった。

 それにしても、われわれやあなたがこの件の被害者でないのは、ひとえに偶然のなせるわざでしかない。わたしたちは、お互いに対して何の責任もない、無制限な侮辱の自由を手にしようとしてしまっているのかもしれないのだ。

 複数の声、そして死者たちの沈黙

http://d.hatena.ne.jp/koseki/20030503
ぼくは、こういう複眼的な視座こそ重要なのだと思います。
語ることなき存在に思いを絶えず馳せながら、しかもその名において語るという過ちから逃れること、言葉なきものの言葉を求めながら、決して代弁者を自称しないこと、それはとてもむずかしく、そして大事なことだと思うのです。

vermilion

とくに異論が出なければ、vermilionは、火曜日になった零時の時点でベータを解除します。
勿論その後も仕様変更はあるかもしれませんが、いちおう基本的には現在のフォーミュラでいく、ということです。
ご意見、ご質問などありましたらお願いします。

呼びかけ

id:yhleeさんより、id:lovelovedogさんとの件に関し、
http://d.hatena.ne.jp/yhlee/20030505#p1
こういう呼びかけがなされた。
自分への攻撃に対して、積極的に対応することはもしかするとネットの行動規範としては忌まれる場合もあるかもしれない。しかし、事なかれではなしが落着するだろうか。勿論、どちらに理があるかは、あなたが関連のアドレスを見て判断してほしい。決して、たとえぼくの主張であろうと、ぼくは鵜呑みにしてほしくはない。
google:愛・蔵太も参考にあげておく。
すでにネットワーク上で周知のこととなっている事実、そしてその騒動が起きたときにもすでに衆目のまえでおこなわれた事柄は、保護されるべき個人情報とはわたしは思わないからだ。

他人事ではないというのは、本当にそうだと思う。

ついでにいえば、あなたが判断を保留しているとしても、ことが注視されているということを表明することは、事態が公正に推移する助けになるはずである。対立が、多くの目にさらされることは、それだけ不正な行為への抑止になることは間違いない。たとえば、言葉狩りという言葉の氏の編集についてあなたはどう思われるだろうか。「 ただし、単語が問題になっているのか、差別や侮蔑そのものが問題になっているのかに対立があるときは、この語の適用そのものが争点になる。」という表現は不明確か。言葉狩りという「便利な」言葉を使うことがその特定の状況について適切かどうかこそまさにが争点になりうるという意味のこの表現が、とくに不明確だとは私には思えない。

追記。
あたかも在日という用語をよんひゃんさんが個人的に不快だから抹殺したのが原因だというような記述がなされている。事実関係をここでも確認しておこう。

第一に、
http://d.hatena.ne.jp/yhlee/?date=20030209#1044746349
http://d.hatena.ne.jp/yhlee/?date=20030209#1044773863
http://d.hatena.ne.jp/nobody/?date=20030209#p1
在日という言葉自体はたしかに不快な使用を歴史的経緯からする人もいる。だがそのことをキーワードに、そのような使用を公認するような仕方で記述することは、そのような意味をその語に「与える」行為に他ならない。また、そのような差別的なニュアンスをその語にあたえる、キーワードツリーでのおかれた位置でもあった。つまり、馬鹿やキチガイという語と並列されたのである。
誰でも自由に編集でき移動できるということは、その語がそこにキーワードとしておかれているかぎり、愛・蔵太氏のそのような意図的な編集行為を防止する方法はなかった。最善でなくとも、削除はひとつの手段として理解できるものであったと思う。(また、再登録は常に可能だったのである)

第二に、これは本質論だが、そもそも、キーワードの内容や位置や削除という行為に異論があったとしても、それは意見対立であって、いかなる意味でも、愛・蔵太氏がよんひゃんさんを「既知外」呼ばわりしたことを正当化しない。当然のことだが、くりかえすように、このような暴言を他者にぶつけて、なんの釈明もしないで自己正当化をはかりつづけるというのは、明らかに不当のきわみである。

vermilion::read 犬

http://d.hatena.ne.jp/nacanan/20030504#p1
オーベルシュタインと犬を連想してしまったのはちょっと古いかも。
ぼくはそれほど絶望的な話だとは思いませんでした。他者を愛することができる存在は、それゆえに死を祝福することができるのではないか。だが、もう少し、なんというか、視点が複数的なほうがいいような気もしました。なんとなく、暗殺者の心情というか、そこに遠さが残って、不可解な感じがします。それから、犬をもっと読者が愛するように描写すると、死んだときに読者のこころをうごかせるのではともおもいました。かってな批評ですが、一読者の感想として。セカイ系ではありませんが、世界の滅びのイメージがもう少しつたわるともっとヴィヴィッドだったような気もします。

続報 言葉狩りをすべきではない

幹は、「在日」というキーワードを削除する、というそちらの行為にあると思うんだが。いくら特定個人にとって嫌な言葉でも、それが言葉として存在し、使っている人間がもっぱら被差別的に使っているようなものなら、キーワード登録に文句を言うのはともかく、抹殺するのはどうかと思います。今の「日本人」の定義以上に、いい方向に調整が進んでいたと思っていたんだが。あ、謝罪と訂正って言われてるんで一言、この行為に対して「絶対に承服できない」と自己正当化しているテキスト部分に、「○○○」という言葉(人格評価)を使ったのはお詫びします。

 謝罪があったことは一定の評価に値すると思います。
 そのことは明記しておきます。
 が、「既知外」の文字をここで使用しないのは、まさしく言葉狩り的態度だと考えます。言葉狩りというキーワードの説明文にも記述がありますが、同日の日記にかかれているような、「削除」など、もとから誰も求めていないわけです。謝罪と訂正を付加することが求められてたわけで、そうするなりそれに反論するなりすればいいのであって、単語の削除は、そもそも問題を隠蔽するものに他なりません。
 また、ことが管理人さんの要求によるものだとして、具体的なクレーム内容はわかりませんが、もしも、本当に、このような、侮蔑的でないことが明らかな引用的使用まで禁じられるような一律の語句への禁止なら、それは抗議されていいものでしょう。

(管理サイドとして主観的な判断を避けたいことから一律禁止を要求したという場合も考えられそれはそれで理解できますが、もしそうだとしてもやはり不当性は残ります)

 また、言葉狩り的に事態をあやまって判断しておられることについては、ひきつづき、「病気」あつかいにしていることからもあきらかで、語句だけが問題であるかのように事柄を描いていると思います。

 また、確認しておきますが、今回の件と、在日キーワードの編集削除の件は、相互に独立した別件です。在日キーワードの問題について、今回の氏の発言の引き金になったよんひゃんさんのテキストが、あらためて非難を行っているわけではありませんし、またその後の抗議においても、そのことを問題にしているわけではないからです。

 当該の日記では、キーワード編集の方針の説明で、過去の経緯を事実関係を述べたに過ぎず、それをもって、論争の蒸し返しと捕らえることは事実に反します。「絶対に承服できない場合」という表現は、その在日キーワードの問題の当時、キーワード編集を行った理由の説明として行われたものであって、現在、絶対に承服できないぞという、メッセージとして述べられたものではないことは、読めば明らかです。

 ことさらに、在日キーワードの件を持ち出すのは、あきらかにミスリードです。在日キーワードは、わたしも、最善の対応としては抗議編集追記といったことをすべきで、削除は避けるべきだったと考えますが、(すでに書いたように状況から理解できる対応ではあったと考えていますが)、そのことと、氏の侮蔑的反応の是非は完全に独立した事態でしょう。くりかえし、確認しておきます。

 また氏はキーワード登録や編集を活発に再開されたようですが、それは個々に具体的な中身に則してみなさんがそれぞれ判断されると思います。

「在日コリアン」キーワードへの言及

言及があったので追記します。
当該部分はわたしの編集部分ではありません。
なお、一般的になってきたと記述した人の意図を推測すると、当事者やそういう社会問題に意識的な人の間では、という意味ではと思いますが、すでにキーワードはたしかに一般レベルでは普及していないというニュアンスが付加されたようなので、それでよいのではと考えます。

なお、念のため、わたしの文章への言及かどうか不確定ですが、キーワード登録で、ことさら刺激的な言葉を登録しないという管理サイドの意向があるなら従うのは当然だと思います。そうではなくて、文中での使用、それも、一律に許可不許可ではなくて、たとえば侮蔑的ではない引用的使用などについて、言っています。今回、問題になったのは、あくまでも罵倒だったからで、特定の語句の使用が問題になったわけではありません。特定の語句が罵倒として使用されたからです。この二つは全く別の事柄です。